きょうも、ビミョ〜な天気(てんき)でしたね゛〜。

トリトリデッキのとこから、カメラを構(かま)えようとしたら、パラパラと。
さて
広報誌(こうほうし)の記事(きじ)をつらつら書(か)きながら、どうもスッキリしないのが喜界の先祖祭(せんぞまつり)。
図書館(としょかん)で、喜界町誌(きかいちょうし)をジロジロしたら、興味深(きょうみぶか)いところが。

当地(とうち)では、大島(おおしま)のように旧暦八月(きゅうれきはちがつ)からあとにシバサシをするけれど、そのときに墓(はか)を祭(まつ)るそうで・・シバサシのときに墓祭りをしなかった集落(しゅうらく)でする行事(ぎょうじ)が、ウヤンコ―と三日(みっか)あとの甲子(きのえ・ね)のドゥンガァはネズミ祭なのだそう。 はたまた、シバサシを旧暦六月にやる集落もあるそうです。
シバサシは魔除(まよ)けのシバ・・ススキなどを、家(いえ)の四方(しほう)にさしたりする儀礼(ぎれい)です。
すなわち
大島とちがって、アラセツ・シバサシ・ドンガが、つながってないのでは?
もともと独立(どくりつ)したドンガは、沖永良部(おきのえらぶ)や伊仙町(いせんちょう)にある先祖祭です。
かててくわえて
甲子のイベントは、江戸時代(えどじだい)に内地(ないち)で盛(さか)んになったらしく・・ それをノロが取(と)り入(い)れたと考(かんが)えるのは、想像(そうぞう)に難(かた)くありません。
そのころ、浄土真宗(じょうどしんしゅう)の権現信仰(ごんげんしんこう)が、琉球王国(りゅうきゅうおうこく)に影響(えいきょう)をおよぼしてましたし、薩摩藩(さつまはん)はノロを排除(はいじょ)しようといていたので、ノロはさまざまな工夫(くふう)をして、シマッチュとの絆(きずな)を保(たも)ちたかったのかもしれません。
ノロは農業(のうぎょう)や祭などの行事(ぎょうじ)を管理(かんり)する官職(かんしょく)で、シマッチュが養(やしな)っていたハズだから、シマッチュにアテにされなくなるワケにはいかなかったし、カレンダーのない時代(じだい)には必要(ひつよう)でした。ただ
オッサンの経験(けいけん)からして、記憶(きおく)だと誕生日(たんじょうび)なんかが一日(いちにち)ちがいになることがあったりして・・ノロの記憶もズレたりしたかもしれない。 あるいは、大島に集(あつま)ってドンガをするために、ズラしたのかもしれない。
そのためか? 徳之島のドンガが甲子の前日(ぜんじつ)だけど、もっとあとの癸亥(みずのと・い)だし、沖永良部もちがう日取(ひど)りだったり。
とゆ〜ことは、薩摩藩によって琉球王国(りゅうきゅうおうこく)から切(き)り離(はな)されたノロたちの本拠地(ほんきょち)が、大島(おおしま)にあった・・のかも?
それにドンガのあとはイベントもほとんどなくて、ノロの総会(そうかい)をするには都合(つごう)のイイ日取りなような・・手(て)がかりは少(すく)ないけれど、たどるのは面白(おもしろ)うございまっすっ。