佇(たたず)まいは小(ちい)さく地味(じみ)で・・・ それでいて声(こえ)も絶妙(ぜつみょう)に地味。

再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
クマゼミやアブラゼミのようにヤカマシイ大声(おおごえ)でもない、ニイニイゼミのように甲高(かんだか)くもなく、ミ〜ン ミ〜ンや、カナカナカナカナ・・・のような印象(いんしょう)に残(のこ)るフレーズでもない、オッサンにとっては風音(かざおと)に等(ひと)しい存在(そんざい)のセミ。 オッサンの耳(みみ)には、意識(いしき)しようとしない限(かぎ)り、ほとんど届(とど)いていません。 聞きなしに対(たい)する、ステルス性(せい)を備(そな)えた声と謂えるでしょう。
、
日本人(にっぽんじん)は「聞きなし」と謂(い)われる習慣(しゅうかん)が発達(はったつ)してい、動物(どうぶつ)のみならず特徴的(とくちょうてき)な音(おと)を言葉(ことば)と同(おな)じように聞く/認識(にんしき)する文化(ぶんか)を持(も)っています。 アカショウビンのキョロロロロロ〜は、だれに教(おそ)わらなくても、シマンチュならそう感(かん)じていることでしょう。 それは、音を言葉にして記憶(きおく)しようとする習慣あってこそ。 オッサンも、知(し)らぬうちに、まわりの音を言葉として記憶(きおく)しているらしいのですけれど・・・クロイワツクツクの「ジジジジ〜 クワッ クヮ」は覚えても無意味(むいみ)と感じているらしく、あえて意識しないと認識できません。

ともあれ
クロイワツクツクはさておき、オッサンは聞きなしの習慣がしみついているらしく、脳(のう)が言葉として音を認識すると判断(はんだん)すれば、遠(とお)い音や鳥(とり)の声もニンゲンのささやきのように感(かん)じるから、聞きもらさないらしい。 日本人でヨカッタ〜。

あ゛・・・
雷(かみなり)をゴロゴロ・・・と聞きなさなければ、子(こ)らの怖(こわ)さが薄(うす)まるのかもしれない。
