都会(とかい)では再開発(さいかいはつ)が多発(たはつ)しているので、あまり観(み)られなくなった歴史(れきし)の証人(しょうにん)のトマソン。

シオミチ団地(だんち)のところにある堤防(ていぼう)。 こうした海岸線(かいがんせん)の名残(なごり)は、今(いま)となっては貴重(きちょう)な存在(そんざい)、味(あじ)わい深(ぶか)いトマソン。 むしろ遺跡(いせき)? この手(て)のものは、亀津(かめつ)のほうが大胆(だいたん)に海岸(かいがん)を埋(う)め立(た)てているので、歴史を知(し)るために子供(こども)たちに探(さが)してもらいたいですね。

それにしても・・わが町には正直(しょうじき)なところ、廃屋(はいおく)やトマソンが多(おお)すぎます。

大型(おおがた)のトマソン化(か)してしまった照明設備(しょうめい・せつび)。 こうした使(つか)えなくなったものが、撤去(てっきょ)できずに残(のこ)りすぎていて、日常(にちじょう)にして育(そだ)った子供(こども)たちは情操(じょうそう)が・・・ダメになってしまうのです。
自然(しぜん)が美(うつく)しいだけに、内地(ないち)で育ったわたしは退廃(たいはい)した風景が厳(きび)しくココロに刺(さ)さってきます。 そうした味のある写真(しゃしん)にはモッテコイな土地柄(とちがら)ですけれど・・・
いったん島(しま)を出(で)た子供たちが、もどったときにショックではないかと。 いろいろ経験(けいけん)したオトナならば・・・郷愁(きょうしゅう)やトマソン、モノノアハレとして愉(たの)しめるのでしょうけれど。

トマソン探(さが)しをはじめてから、ずいぶん退廃した風景に・・・あらためて驚(おどろ)いていたり、慣(な)れてきた自分(じぶん)に・・・デザイナーとしてヤバさを感(かん)じたり。
ちなみに先(さき)の照明の名残は、いづれ・・・ぶっ倒(たお)れるキケンをはらんでいるものです。 いわばキケトマ?

当然(とうぜん)・・・我(わ)が家(や)のナンチャッテなヒサシも、しっかりキケトマ・・・(涙) 配達(はいたつ)の方(かた)、ヒサシが落下(らっか)しないかご用心(ようじん)してください。

こうした現象(げんしょう)が日常・・・オトナはわかっていても、子供たちにとって、無造作(むぞうさ)、無配慮(むはいりょ)、無責任(むせきにん)なものづくりに馴染(なじ)みすぎる・・・というのはどうなのでしょうかね゛〜。
とある海岸(かいがん)のお店(みせ)の、かわいいヒサシにプチトマ? トマりかけ?のような造形(ぞうけい)がありました。

このヒサシは、ヒサシとしては倍(ばい)の幅(はば)が必要(ひつよう)ですけれど・・・おそらくコンクリのゴツイ建物(たてもの)をお店にするときに、イメージを和(やわ)らかくするヒサシっぽいデザインとしてこさえられたものでしょう。 絶妙(ぜつみょう)なカモフラージュ塗装(とそう)?でコーディネイトされているのですけれど・・・上部(じょうぶ)はガウディ的(てき)なカーブになっています。 トマ・・・でなく、ガウっていると表現(ひょうげん)したいですね。

トマサーをはじめてから、町を眺(なが)めるのが愉しくて仕方(しかた)ないのですけれど・・・そのお釣(つ)り?として珍(めずら)しいのも見(み)つかります。

一見(いっけん)、フツーなのですけれど、サッシが3枚(まい)。

国内(こくない)の家々(いえいえ)がツマラナク見えるのは、どこも2枚のサッシだからなのですけれど・・・これは劇的(げきてき)。 北向(きたむ)きですから、広(ひろ)くてやわらかい採光(さいこう)となっているのではないでしょうか。
ぶっちゃけ内地では見(み)かけられぬような、あまりに壊(こわ)れて錆(さ)びてしまった退廃すぎるトマソンばかりで、ココロがささくれ気味(ぎみ)・・・本来(ほんらい)は、歴史や時流(じりゅう)の変遷(へんせん)を味(あじ)わうのがトマソン。 空港(くうこう)の出口(でぐち)にトマ化(か)?したというか破屋(はおく)となったところをマツヤマタクシーさまが利用(りよう)されています。

この風景を日常でナンも感(かん)じないとすると・・・かなりココロが退廃やトマソンに慣(な)れ過(す)ぎているな・・・と思(おも)います。 空港を出たら、すぐ破屋・・・ピカピカの空港から、イキナリすげ〜心象(しんしょう)の町なのをホントに感じていますか? そんなマイナスイメージなのを書(か)くなよっ

と感じたアナタ、ほんとに激(はげ)しい退廃を感じていましたか??? ここの退廃なイメージは、かなりインパクトがあります。 その一角(いっかく)でレンタカーの契約(けいやく)とかしますし・・・旅人(たびびと)だったころは、スゲー荒(あ)れた島だな・・・と感じていたものです。 いささか整形(せいけい)するとか、塗装(とそう)するとか、撤去するとか・・・いかがなものでしょうか? カツミさん。
北海道(ほっかいどう)から小笠原(おがさわら)、波照間島(はてるまじま)や南大東島(みなみ・だいとうじま)、対馬(つしま)、福島(ふくしま)や新潟(にいがた)より西(にし)の海岸線(かいがんせん)はほとんど旅(たび)しましたけれど・・・島ほど破屋に満(み)ちた退廃風景を見たことはありませんでした。 桁違(けたちが)いです。

だから「鄙(ひな)びる」という表現(ひょうげん)ができず・・・退廃なのです。
こんだけ破屋だらけなのなら、自虐(じぎゃく)かもしれないけれど、トマソン視点(してん)で観光(かんこう)にできないものか・・・と考(かんが)えているこのごろ。 だって、自然(しぜん)が深(ふか)いぶん、人工物(じんこうぶつ)とのせめぎ合(あ)いのシーンが、強烈(きょうれつ)なコントラストとなり、素晴(すば)らしい写真、作品(さくひん)になるわけで。
昭和(しょうわ)40年代(ねんだい)ころまでは、わりとあった風景ですけれど、今はもう貴重?な風景かもしれません。 もちろん古(ふる)い、ウラジロガシの柱(はしら)を用(もち)いた家屋(かおく)が大事(だいじ)に使(つか)われているのはご存知(ぞんじ)のとおり、コチラも貴重な風景。ともあれ
カネがかかって撤去できないんだから、仕方(しかた)ないだろっ

と開(ひら)き直(なお)るのは勝手(かって)にしていただくとして、観光をさせたいのなら退廃を認識(にんしき)しておかいないと・・・お客(きゃく)とギャップがありすぎます。 殺伐(さつばつ)とした風景に気づかなければ、いよいよ増(ふ)えるばかりではないか・・・と。
退廃で雑(ざつ)な風景に親(した)しみすぎると民度(みんど)が下(さ)がり、雑なデザインも平気(へいき)になってしまいます。

おそらく、無意味(むいみ)に城(しろ)をイメージしたのだと思われるのですけれど・・・ド派手(はで)さは幼稚園(ようちえん)のようですし、なぜ小学生(しょうがく・せい)を登城(とじょう)させるような感じになっているのか・・・意味不明(いみふめい)で、むしろ年功序列(ねんこうじょれつ)のヒエラルキーを植(う)えつけたい・・・自由(じゆう)に反抗(はんこう)するデザインともとれます。 小学6年(ねん)の女子(じょし)は、そろそろオトナとしての意識(いしき)に切(き)り替(か)わるころ、あんまり幼稚(ようち)なデザインも、いかがなものか。 しかも大雨(おおあめ)が多(おお)いのに、ヒサシが逆(ぎゃく)で機能不全(きのう・ふぜん)。 すなわち、トマソナイズされたヒサシ。 イメージはさておき建築(けんちく)として機能していません。
オオザッパというより、配慮しないことに慣れすぎているのではないか・・・と。 人情(にんじょう)や絆(きずな)は、おそらく世界(せかい)でトップだと思われるだけに、内地との文化(ぶんか)の差(さ)というよりも・・・感受性(かんじゅせい)の荒(あら)っぽさ、殺伐(さつばつ)しすぎた風景の感じ方のギャップのデカさに驚(おどろ)かされるトマサーな日々(ひび)です。